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空海5

Posted by 勇者いくお on 13.2013 精神世界 0 comments 0 trackback
阿波から土佐にはいりましたが、元の場所が阿波なので書庫はそのまま(笑)

次はlalalaさんからアマテラスが関与しているとの情報を得ましたので三十三番札所

公式ホームページより

旅の道うえしも今は高福寺  
のちのたのしみ有明の月


高福山 雪蹊寺 雪蹊寺の歴史・由来

土佐湾の桂浜は、白砂の美しい月の名所として知られる。幕末の志士、坂本龍馬の銅像が立っていることでも名高い。雪蹊寺はそこから西へ約4キロほどである。雪蹊寺の縁起は、まず3つの特色から挙げておく。
1つ目は、四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であること。弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称した。その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。

山門
2つ目は、鎌倉時代の高名な大仏師、運慶とその長男、湛慶がこの寺に滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を制作、また、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置したとされる。一時、慶運寺と名のったのもこうした由縁で、これらはすべて国の重要文化財に指定されている。 
3つ目は、「南学発祥の道場」といわれ、江戸初期の住職、天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍し、野中兼山などのすぐれた儒学者を数多く生みだしている。
雪蹊寺で出家し四国を17回遍路した山本玄峰師は、まさに行雲流水の禅僧であった。
雪蹊寺の見どころ
太玄塔

本堂
境廃仏毀釈で廃寺となった寺を復興させた17代、
山本太玄住職の供養塔。
次の18代・玄峰和尚の師でもある。
玄峰塔
失明に近い眼病ながら、
裸足で7回目の遍路をしているところ
太玄和尚に救われる。
96歳の生涯。
信親の墓

梵鐘
長宗我部元親の長男。
豊臣秀吉の九州征伐に従い、
豊後で家臣700人と討ち死にした。



雪蹊寺の年中行事
節分厄除け/般若心経百巻続経
●日時:2月3日
花まつり
●日時:旧暦4月8日
盆/ソトバ供養
●日時:7月第一日曜日
施餓鬼
●日時:10月24日
除夜の鐘/そば接待
●日時:12月31日

ここも有益な情報は出てきませんね

年中行事で施餓鬼というのが気になるくらいです

阿波の古代史アマチュア研究家の方も雪渓寺については書かれていないようです


まあそういうことで、調べるには時間もかかりますから

そこまでの根気は僕にはないのでここまでです(笑)

前世では土佐の生まれのはずなんですが、今世では高知とは

まるで縁がないようです(笑).


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