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空海4

Posted by 勇者いくお on 13.2013 精神世界 0 comments 0 trackback
二十二番札所 平等寺

ウィキより

平等寺 (阿南市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内、 検索
平等寺

境内
所在地 徳島県阿南市新野町秋山177
位置 北緯33度51分6.6秒東経134度34分58秒座標: 北緯33度51分6.6秒 東経134度34分58秒
山号 白水山
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
創建年 (伝)弘仁5年(814年)
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 白水山 医王院 平等寺
札所等 四国八十八箇所22番
文化財 紙本金地著色秋草図(県文化財)
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平等寺(びょうどうじ)は、徳島県阿南市にある高野山真言宗の寺院。白水山(はくすいざん)、医王院(いおういん)と号する。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場第二十二番札所で、阿南室戸歴史文化道に指定されている。
本尊真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌:平等に 隔てのなきと 聞く時は あら頼もしき 仏とぞみる
目次 [非表示]
•1 歴史
•2 境内
•3 文化財
•4 交通案内
•5 奥の院
•6 前後の札所
•7 周辺
•8 参考文献
•9 外部リンク
歴史[編集]寺伝によれば、空海がこの地で厄除け祈願をすると5色の雲がわき金剛界大日如来の梵字が浮かんだ。さらに薬師如来が現れたので、その場で錫杖で井戸を掘ると乳白色の水が湧いた。その水で身を清め百日間の修行をした後薬師如来を刻み、堂を建てて本尊として安置したのに始まるという。
七堂伽藍や12の末寺を持つまでに栄えたが、天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火で焼失した。享保年間(1716年 - 1736年)になって照後僧正によって再興される。
境内[編集]•山門(仁王門・楼門)
•本堂:格天井には多くの草花を描いた天井画がある。
•大師堂
•鐘楼
•地蔵堂
•観音堂
•護摩堂
•十王堂
•鏡の井戸(弘法の霊水・白水の井戸):この水は万病に効くとの言い伝えがある。
•厄除け坂:本堂正面に男坂42段、本堂左に女坂33段、山門前に子厄坂13段で合計88段となっている。
道路に面した13段の石段を上がって山門をくぐる。左に鐘楼、右に納経所があり、その先右手に手水場が、左に鏡の井戸があり、正面に42段の男厄坂が左には緩やかな33段の女厄坂があり上り詰めると本堂が建つ。厄坂の途中に地蔵堂、本堂左のほうに護摩堂がある。大師堂は手水場の左奥に建ち、その手前に右に観音堂が、大師堂の左に十王堂がある。


やはり手がかりになるような情報はありません・・・

四国遍路の札所の一つであるということしか分かりません

全国ではどうでしょうか?

各地に九頭龍の伝承がありますし、九頭龍神社もあります


信濃三十三観音札所といのがあるそうで、その中に

第二十八番札所龍頭山 龍福寺

ご本尊名 聖観世音菩薩
ご本尊愛称 鳥羽堂観音
宗派 元天台宗
所在地 上田市腰越向井1186
駐車場 参道口 大型車は腰越橋手前
TEL 0268-42-2196
URL
ご詠歌 鳥羽の山 登りてみれば 龍福寺 田子の浮き舟 松風の音
開山・開基 慈覚大師(承和元年834)
承和元年(834)、天台宗の慈覚大師の創建にして、大師が手ずから刻んだ観音像が本尊と伝えられる。伝説では、信濃錫巡中の大師がこの地を訪れた際、土地の民を苦しめる龍を封じるため、沼のほとりで修法を行ったところ、功徳を得た龍の昇天とともに霧が晴れ、柳の大木が現れた。その柳を伐って、木の上部でつくった仏像が、当時の聖観音という。地域の人々の信仰が篤く、毎年12月には奉賛会が主催する子ども餅つき大会で大いににぎわう寺である。

龍頭山龍福寺?これは臭います・・臭いですね(笑)

ということで、平等寺は置いといて、21番太龍寺を紹介

のらねこさんのブログより
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/archive/2011/12/24

もう一つ 阿波古代史と日本のルーツ研究会(基礎編)から

阿波古代史(基礎編)と日本のルーツ研究会さんが近況をシェアしました。
6月25日「アワの歌」の話題から秀真伝の話になったので、「秀真国=阿波国」の記事について、再度シェアしますね。
発展編からシェアしようとしましたが、いまだバグ状態なので、あらためてこちらにアップします。推察が少し入っていますが、自明かなと思うので、こちらでもアップしておきますね。

「古事記はどこを舞台とした物語なのか?」

古事記と言えば、日本人なら多くの人がご存じの日本最古の公式歴史書です。

でも、正式の名称をご存じの方は少ないと思います。私も阿波古代史を知るまではしらなかったのです。

その正式名称は「磯上乃古事記」(いそのかみのふることぶみ)

では、この「磯上」とはなんでしょうか? 
これは場所を表す冠頭詞のようですね。

これを解釈するのに格好の文章があります。
825年に阿波国 太龍寺縁起において空海が著した以下の文章です。

「磯輪上乃秀真国之阿波国也」(しわがみの ほつまのくに これあわのくになり)

磯輪上の秀真の国=阿波国

と言っているのです。この文章は重要なことを二つ表しています。

まずは「秀真国は阿波国」と言うこと。

つまり「秀真伝」(ほつまつたえ)と言う古文書は「阿波伝」(阿波のことを書いた文書)と言うこと。

もうひとつは冒頭の「磯上」の解答、「磯輪上の国は阿波の国」と言うことです。

磯輪、つまり 「磯の輪=鳴門の渦潮」 と推察できれば、その上の国は阿波国です。

この二つを組み合わせれば、実に簡単なことではないですか。

つまり、古事記は「阿波国の歴史を書いた文書」と言うことです。事実、阿波風土記は現在の世の中に実在しないことになっているものの、その阿波風土記をもとに研究した書物が筑波大学図書館にあることが発見されています。その中には天地開闢以来の物語が載っております。

「でも、他のところの風土記や家伝書の中にもそういった古事記と同じような天地開闢の物語が語られているものがあるかもしれないじゃないか?」と言った反論が聞こえてくるかもですね。

でもその反論に対しては、明治時代の小杉榲邨先生の偉業があり、これで持って自信を持ってないと言えます。小杉先生が30年間かけて全国津々浦々の場所にご自分の足で出かけられて、その場所の家伝書、資料を調査された目録も別途また掲載しておきます。その膨大さに圧倒されます。そして、「どこの書にも、そうした天地開闢以来の物語が載っていなかった。」と言うことなのです。

「阿波風土記以外の資料に天地開闢以来の物語がない」と言う証明のために費やした30年。地名と古墳を基に机上で説を書いているだけの学者さんとは全く違った地道さですね。(^_-)
ということで、太龍寺を出したついでにこの情報も出しました(笑)

それで肝心の平等寺は?

分かりません・・・・

まあ、こんなもんでしょ・・・本当に重要な場所は封印されてますから

だから阿波は厳重に封印されてきたわけですね.


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