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九頭龍

Posted by 勇者いくお on 07.2011 精神世界 0 comments 0 trackback
さて、九頭龍=ベルゼブブの検証をしてみます。

ウィキより
鹿野山の九頭龍伝承 [編集]
千葉の鹿野山麓の鬼泪山(きなだやま)には、九頭龍という九頭の巨大な大蛇が棲みつき、村人を襲い人々を喰らっているという。 村の長が都に使いをたて大蛇退治を願い出たところ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が大蛇退治に遣わされた。 村人がその恐ろしさをタケルに語ると、タケルは腰の剣を抜き「必ず この草薙剣で大蛇を退治してみせる」と誓い、村人の案内で小川沿いの道を鬼泪山に分け入った。 タケルは懸命に九頭龍を探すが一向に見つからない。疲れ果てていつしかタケルは眠ってしまった。するとそこに九頭龍が現れ、タケルを一飲みにしてしまった。
三日程たったある日。村の娘が小川で洗濯をしていると、だんだんと川の澄んだ水が赤く染まっていった。娘はあまりのことに驚き、村人を呼んだ。「タケルノミコト様が大蛇を退治して下さったからに違いない」「いやもしかしたら、タケルノミコト様の身に・・・」などと話し合っていると、ヤマトタケルノミコトが現れて「つい油断して九つの頭の蛇に一呑みにされてしまった。幸いにも生きていたので 約束どおり この剣を抜き、奴の腹の中を滅多斬りに切り裂いて、外へ出られた。そして、九つの頭を全部切り落としてやった」と言った。
この時流れ出た血が、川を三日三晩染めたので、今でもその川のことを「(血)染川」と呼んでいる。なお、退治された九頭龍の霊魂は長年を通じて供養され、「九頭竜権現」として祀られるに至り、今でも神野寺仁王門に鎮座されている。また、鹿野山測地観測所の下には「大蛇作」「蛇堀」などと呼ばれる場所がある。かつて大蛇の棲息していた場所だと言う。
龍ではなく、鬼泪山に篭って日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と闘ったのは、鬼とされた阿久留王だったという伝承もある。別名、六手王とも言った。鬼泪山北麓を流れる染川(血染川)は、その鬼の血で三日三晩染まったので「(血)染川」と呼ばれるようになったとも言われる。また、鬼が泣いて許しを請うたので「鬼泪山」という呼称がついた事にもなっている。阿久留王の墓という祠が江戸期までは実在したと言われている。
鬼泪山でヤマトタケルと闘ったのは、でいだく坊、だいだあ法師、デーデッポ、だいだらぼっち という巨人であったという伝承もある。
九頭龍川流域の伝承 [編集]寛平元年(889年)6月、平泉寺の白山権現が衆徒の前に姿を現して、尊像を川に浮かべた。すると九つの頭を持った竜が現れ、尊像を頂くようにして川を流れ下り、黒竜大明神[1]の対岸に泳ぎ着きたという。以来、この川を「九頭竜川」と呼ぶようになった。(『越前国名蹟考』福井県郷土誌懇談会 著 1958年発行 より)
この地方での黒龍大明神の祭祀は、天地の初めから国土を守護されてきた四方位を象徴する御四柱の神々「四大明神」の御一柱を祀るものとされた。東の常陸国には鹿島大明神、南に紀伊国には熊野大権現、西の安芸国には厳島大明神(神宮創建 推古天皇元年593年)、北の越前国の当地には黒龍大明神として、日本の国家鎮護 及び 黒瀬川(九頭龍)流域の守護神として祭祀されてきた。五行思想から黒と水は北方を象徴し北方を守ると考えられ、また、四竜において北方を守護するのはやはり黒龍だからである。
 ~黒龍大明神信仰の歴史(参考まで)~
雄略天皇21年(477年)、男大迹王(継体天皇)が越前国の日野、足羽、黒龍の三大河の治水の大工事を行われ、北国無双の暴れ大河であった黒龍川(九頭龍)の守護と国家鎮護産業興隆を祈願され高龗大神(黒龍大神)、闇龗大神(白龍大神)の御二柱の御霊を高尾郷黒龍村毛谷の杜(舟橋の現在地から6.5km上流の川の中央に位置)に創祀された。この儀により現代まで連綿と続く九頭竜湖~九頭龍川流域での黒龍大明神信仰が興ったのだとされる。
第四十三代元明天皇和銅元年(708年)9月20日、高志連村君(こしのむらじ・むらぎみ)が継体天皇の御遺徳を景仰し、高尾郷黒龍村(毛谷の杜)で御霊を合祀。
延暦3年(784年)8月、社殿が火災で焼失し坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ、坂上田村麻呂の父)が再建
承平元年(931年)、藤原利行 朱雀帝御宇承平元年越前国黒龍村、毛谷神社神職となる。(藤原姓の神職の祖 第一代)
承平3年(933年)、長者となった生江の世常の宿祢(いくえのよつねのすくね)の夢にお告げがあり、社殿を新しく造りかえた。毎年七度の祭礼が行われてきたという。それが延喜式にある坂井郡毛谷神社で、今の毛谷黒龍神社にあたる。生江の世常の宿祢が長者となる奇跡の物語は、今昔物語[巻17-47]や宇治拾遺物語[巻15-7]に載っている。
光明院御宇暦応元年5月2日、二十四代藤原行古が左中将義貞に従軍し藤島の里に戦死。暦応元年5月、新田義貞が斯波高経と戦ったとき、 黒龍神社も兵火にかかり燃える。このとき神霊は、白龍となって山上に飛び、木の上にとまった。そこで、このあたりを竜ヶ岡(たつがおか)と呼ぶようになった。(「太平記」巻第二十に黒龍明神下での戦いの記載あり)
箱根の九頭龍伝承と祭祀 [編集]箱根の九頭竜伝承は九頭竜の代表格とも言える。『群書類従2』p330-336「筥根山縁起并序」の項より、一文を引用して説明したい。
“ 又湖水西の汀に九頭の毒龍有て時々雲を拏び波を起こして人民を損害する事あり。 上人衆生の苦を救ふを願とす。此故に彼深潭に臨で仏に祈誓し給ふに毒龍 則 降伏して其形を改め、宝珠錫杖及水瓶を捧げて出現す。上人則鉄鎖を呪して縛して以て大木に繁ぐ。其木を栴檀漢羅樹と云。今尚湖中に有り。 ”

九頭龍神社の縁起は箱根神社と同じ天平宝字元年(757年)。九頭龍神社は箱根神社を開いた万巻上人が調伏した龍を奉る神社である。
芦ノ湖がまだ万字ヶ池と呼ばれていた奈良時代以前、箱根の村には毎年 白羽の矢[2]が立った家の若い娘を芦ノ湖に棲む毒龍に人身御供に差し出すという習慣があった。
それを知った箱根山で修行中の万巻上人は娘達を助け、村人を助けるため法力で毒龍に改心してもらうため立ち上った。 万巻上人は御仏に祈り人身御供の代わりに三斗三升三合三勺の赤飯を21日間の祈祷満願日の前日6月13日(旧暦)[3]に捧げることを誓い、湖畔で経文を唱え 毒龍に対して人身御供を止めるように懇々と仏法を説いた。毒龍は 姿形を変え、宝珠・錫杖・水瓶を捧げ出現した。それでも鉄鎖の法を修し、龍を湖底の白檀の大樹に縛り付け、仏法を説き続けた。後に、その木は「逆さ杉」と呼ばれるようになった。 龍は、もう悪事はせず、地域一帯の守り神になる旨を約束をする。万巻上人は龍の約束が堅いことを知り、九頭龍大明神としてこの地に奉ることにした。その満願の日とは6月14日(旧暦)。そのため九頭龍神社の祭りは、毎年6月13日が例大祭、毎月の13日が月次祭である。 今でも芦ノ湖の湖水祭ではお櫃に赤飯を入れ、御供船に載せ 逆さ杉のところで湖底に沈め捧げる。このお櫃が浮かび上がってくると龍神が受け入れなかったとされ、災いが起きると言われる。
近年では大正12年(1923年)の湖水祭でお櫃が浮かんでおり、その数ヵ月後に起きた関東大地震(大震災)から、九頭龍神社の霊験があったとされた。
戸隠の九頭龍伝承 [編集]
戸隠の九頭龍信仰の源は戸隠神社の九頭龍大神である。鎌倉中期に記された『阿裟縛抄諸寺略記』の中に、西暦800年代の中盤頃の話として、「学門」という名の修行者が法華経の功徳によって、九つの頭と龍の尾を持つ鬼をこの地で岩戸に閉じこめたという言い伝えが残されている。悪さをしたため岩戸の中に封じられた龍である面、山伏たちが、九頭龍権現の名で、雨乞いをして水神として人々を助けた面の両面がある調伏善龍化伝承。因みに歯痛の治療に霊験があり、好物の梨を供えると、歯の痛みを取り除いてくれるとされている。
三井寺の霊泉と九頭龍大神 [編集]近江国三井寺(園城寺)金堂の近くには天智天皇・天武天皇・持統天皇の三帝が産湯に用いたという霊泉が沸いている。この霊泉は「御井(みい)」と呼ばれ、「御井の寺」から三井寺の通称となった。その霊水は、古来より閼伽水として金堂の弥勒菩薩に御供えされてきた。
この御井の霊泉には九頭一身の龍神が住んでおられる、と今に伝わる。その九頭龍神は、年に十日の間、深夜 丑の刻に姿を現わして、黄金の御器を用い水花を金堂の弥勒菩薩まで供えに来られるという。そのため、その期間は泉のそばを通らない仕来たりであった。近づいたり、覗いて見るなどの行為は、「罰あり、とがあり」と言われ禁じられてきた。

京都 八瀬大原の九頭龍弁才天伝説 [編集]1954年(昭和29年)11月24日、大西正治朗(1913 - 1988)という人へお告げがあり、京都の八瀬大原にて九頭竜大社が建立されることとなった。現地では、繞道[4]を通ることを思わせる日本では珍しい参拝の方法を推奨している。後の夢告では、日本へのテロ攻撃も警告されたことがあるという。
仏教との関連 [編集]仏教での九頭竜とはもともとヴァースキ(和修吉)である。ヴァースキはシェーシャ(Śeṣa)と同一視される。シェーシャとはインド神話に登場するナーガラージャで、カシュヤパ仙とカドゥルーの間に生まれた1000のナーガの1人である。須弥山を守るとされる。その姿は千の頭をもつ巨大な蛇とされ、千の頭の一つ一つに卍の印がついている他、イヤリング、王冠、花冠も身につける。
仏教伝播で中国に伝わった際に八大竜王の和修吉となり九頭一神の龍となった。後に神仏習合され九頭竜は仏教と神道を守る神となる。八大竜王は密教の信仰である。現世利益を強く求める密教において九頭竜は雨乞いをつかさどる神として信仰は完成する。
.
この中で特に気になるのは京都 八瀬大原の九頭龍弁財天伝説です。
詳しくは書かれていないようですが、自分の経験から
勇者物語でも触れていますが、ベルゼブブの手下が弁財天と人間との間の子孫を名乗り
メールしてきた事件がありました。

やはり、ベルゼブブと弁財天には深い繋がりがあるようです。
これは僕の中では九頭龍とベルゼブブを結びつける決定的な証拠となります。

それだけかい!?

それだけで十分です(笑)

アバドンの正体もこんなに上手くいけばいいのですが・・・

ギリシャ神話が謎を解く鍵となりそうな予感が・・・

何故かと言うと、ゲヘナへ入るにはテーベの短剣が重要な鍵となっているからです。

それだけ?

それだけだよ!!悪いか!!?


これでベルゼブブに関する日本神話での名前は完全に解明できたと思います。


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