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阿波ネタの続き

Posted by 勇者いくお on 13.2014 精神世界 4 comments 0 trackback
興味の無い方にとっては退屈な記事が続きます(笑)

とはいっても、僕も古代史の研究家ではないのですが(笑)

最近は憑かれて?いやいや、疲れているのでしょうね

まともな休みもなく仕事をしていますので・・・・

今日も仕事なんですが、あまりにも暇なので阿波ねたを探しておりました

ネットで検索するといろいろ出てきますねー

土佐弁の口語体で全文を書いている方は面白かったです



で、こんな方を紹介しておきましょう

http://web.haku1414.com/2014haru/

上枝 大輔さんです

徳島の方ではなく、お隣の香川県の方ですね

ちょっと一般的ではない変わった角度から検証されているようですが

結論は古事記の神話は阿波が舞台だったということだそうです

まあ、素直に無理なこじ付けや先入観なしに考えれば

同じ結論にたどり着くということでしょうね

狐の帰る国という本にある、空海の言葉も引用されていますが

これは当然でしょうね

僕は空海が大和朝廷の命を受けていたと思います

四国封印の実行部隊の重要人物ですから



もうひとつ紹介しておきましょう

http://manoryosuirigaku1.web.fc2.com/chapter2-6.htm

ちょっと部分的にコピーしました

 『記・紀』にはアマテラスやツクヨミより先に生まれた食物の神が記されています。『記』のオオゲツヒメ(大宜都比売)と、これと同一視される『紀』のウケモチノカミ(保食神)です。そして、『記』ではスサノオに斬り殺され、『紀』ではツクヨミに斬り殺さたことになっています。オオゲツヒメは粟(阿波=徳島県)の国の別名とされる祖神であり、豊受大神と同一神とする説が伝えられています。
 「宜」の字は肉を台(=器「且」)に盛って供えた形の文字ですが、肉の元字は「月」だったのです。『紀』を漢字で記した編者たちがこれを知らなかったとは、到底考えられません。祭祀に関係した語では禰宜(ねぎ。=神官)に使われるように、通常「ギ」としか読まない「宜」に「都」をつけて「ゲツ」と読ませた『記』では、オオゲツが「月」に関係することをすぐにさとられる恐れがあったので、『紀』は代りに作ったウケモチをツクヨミに斬り殺させたように感じられます。
 さらに記せば豊受大神は、『三国史』の中の魏書の東夷伝の中にある倭人の条、いわゆる「魏志倭人伝」に記される卑弥呼のいとこ「台与」(とよ)を祀るもので、伊勢神宮の皇大神宮(内宮)の主神、天照大神は卑弥呼を祀ったとの説が多いのですが、古墳と伝承との研究から台与を卑弥呼とする説もあります。
 代々籠神社の宮司を務める海部(かいふ)家に伝わる「海部氏系図」(「海部氏本記」)(国宝)には、日女命(ひめのみこと)と孫世代に当たる小登興命(ことよのみこと)の名が記されています。小登興は小登与とも記されます。ただし、丹後の国造(くにつくり=長)から宮司になった海部氏が、その姓から、海や航海にかかわった「うみべ」の出身だったということは推定できますが、その系図が卑弥呼の末裔であることの証明にはなりません。
 しかし、オオゲツヒメ⇔月⇔豊受大神と、黄泉の神として造られたツクヨミには無視できない関連があることは明白であると同時に、『記・紀』がツクヨミに多くを記せなかったのは当然だと思われます。

海部?愛知県には海部と書いてあまと読む郡がありました

現在のことは調べてはいませんが(笑)

徳島には海部郡(かいふぐん)があり、海部町、海南町、宍喰町とありましたが

平成の大合併により、海陽町となっています

麻植郡(おえぐん)も吉野川市に変わっていて

更に時代が流れると、旧名は段々と忘れられるかもしれませんね


日本の古代史というと「邪馬台国」論争がずーっとにぎやかなんですが(笑)

個人的には「ほんなもんどうでもええわ」です(爆)


神話は精神世界の神々と人間の織り成す複雑怪奇な物語です

太古の昔は精神世界と現実世界がはっきりとは分かれていなかったので

仕方ないとは思いますが

重要なのは、神々と人間がどのように関わり、何故、精神世界と現実世界が

隔絶されてしまったかを学ぶことではないでしょうか

とはいいましても、事実は実に信じがたいSF的な話にもなりますから

普通の人なら、「アホらしい」と一蹴されるかもしれません(笑)



最後に、神話というのは人間だけの歴史ではありませんし

たかだか4千年や5千年前のものでもありません



本来、神話の語り部は天皇の役目でしたが、

途中で途絶えてしまっています



さて、ますますミステリアスな島「四国」

そして、その中心的な位置を占める「阿波」

何を何のために封印したのでしょうか?


え?そんなの興味ない?

あっ そう(笑)


それにしても今、風は四国に吹いている


と感じる今日この頃でした

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阿波踊りの起源

Posted by 勇者いくお on 13.2014 精神世界 1 comments 0 trackback
やっぱり僕には阿波ネタしかないようです(笑)

そこで、阿波踊りの起源について考えてみましょう

起源と名称[編集]精霊踊りや念仏踊りが原形であるといわれるが、起源は明らかになっていない。徳島藩が成立して以後、盛んに踊られるようになったとされる(徳島市観光協会の説明より)。徳島城が竣工した際、当時の阿波守・蜂須賀家政が城下に「城の完成祝いとして、好きに踊れ」という触れを出したことが発祥という説もある。江戸時代には、一揆につながるとの理由で阿波おどりが禁止されていた時期もあった。その令を犯し、自宅で阿波おどりを行った家老がお家断絶になったという。また戦時中にも一時阿波おどりは禁止された。
阿波おどりという名称は徳島県内の各地で行われてきた盂蘭盆の踊りの通称であり、昭和初期からそう呼ばれるようになった。この名称は日本画家・林鼓浪が徳島商工会議所(当時は商業会議所)に提案したものとされる。尚、徳島市や高円寺の阿波おどりではポスターや看板等において専ら「阿波おどり」と表記される。また、徳島県が発行する印刷物等においても「阿波おどり」で統一されている。ちなみに、名称から徳島県阿波市が阿波おどりの本場と思われることがあるが、阿波市でも阿波おどりは行われるものの特別なことは特にない。なお、一部では「阿波踊り」と漢字表記している。
WIKIより


ふ~ん、起源は定かではないようです

ということは、相当に古い可能性が高い?


そこで、ちょっと変わった連の紹介です

ちょうどいい画像がなかなかなかったものですから

こちらをご覧ください

http://plaza.rakuten.co.jp/nkamada/diary/200807240000/#comment

その名もアメノウズメ連です

提灯には天渦女連と書かれているようです


他の連とは衣装も踊りもまったく違います(笑)

阿波踊りは古事記にある天岩戸神話で

アメノウズメが踊ったのが起源だ!と主張されているようです

まあね、正確な起源なんて誰にも分からないのですが

ほんなアホな と笑うこともできません

阿波のことを何も知らない人にとっては

ばかばかしいと思われるかもしれませんが

ご本人達は、しごく真面目にやっておられます

なにしろ、阿波ほど古事記にぴったり嵌る場所は他にありませんからね

え?証拠?

それが知りたければご自分でネット検索してみてください(笑)

古事記の国生みは何処から始まってますか?

淡路島からということになっていますが、

鳴門海峡の小島かもしれませんよ?(笑)

次に四国が作られていて、これははっきりしていますね

それで、阿波(粟)はオオゲツヒメと書かれています

それで、古事記にこのオオゲツヒメが4度も登場しています

スサノオに殺されてしまいますが・・・

オオゲツヒメは伊勢神宮にアマテラスとともに祀られてている

豊受大神と同一視されています

オオゲツヒメ=豊受大神なら

阿波の女神が伊勢神宮に祀られていることになります

そして、スサノオとのエピソード

スサノオとアマテラスのエピソードを考えると・・・・


もうやめておきます(笑)

ちょっと気になったQ&A

Posted by 勇者いくお on 13.2014 精神世界 0 comments 0 trackback
たまには既知外ネタもやっておかないとと思い、阿波ネタを探していたのですが

ちょっと面白そうなQ&Aを見つけてしまいました


http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6330581.html


上のページで、この回答への補足という部分が阿波ネタになります

祖谷ー、面白い方ですねー

多分、徳島の方ではないと思いますが・・・

高志を誤って?徳島の南部と書いていたりしますから

高志は吉野川下流の北岸にある上板町の川渕にある地域です

あっ、まだあった!入田町を名西郡と書いてますが

今は徳島市入田町です(笑)  これは僕が子供の頃もそうでした



まあ、些細なミスはありますが、それにしてもよく調べていらっしゃる

木簡、地名に至り、更に

何故全国に同じような逸話があるのか? ふと、阿波忌部氏が頭に浮かぶ。


というような記述は圧巻です(笑)

阿波古代史の研究家の方にしてみれば当たり前のような話ですが

阿波忌部が全国に広がり、一つの神話が各地に残ったことを

匂わせるなどニクイね~(笑)


諏訪神社のこともちゃんと調べてるようです

まあ、諏訪神社はネットで検索すればたくさん出てると思いますが

かじの木から木綿(ゆう)のことまで調べていらっしゃる



何処の方か気になりますね

そもそも古事記なんて阿波のことを書いているのだから

国生みから全てそうなんですね

だから、阿波の古い話として読めば違和感はないわけです

古事記の記述の中にも阿波なんて表現もところどころあるみたいですし

宮崎から島根や福井に話を飛ばしたりせずにすみます(笑)

地名にしても、偽物の場所は記紀が編纂されてから

話に合わせて改名された場所、或は阿波の一族が移住して

故郷に因んだ地名をつけていたりするわけですよね

一番分かりやすいのは安房でしょうけど・・・

記紀というのは本物を封印するために編纂された物語ですから

その話を書物にして、日向は宮崎、出雲は島根と1300年も教育してれば

そりゃ偽物も本物になりますって(笑)

そのために莫大な費用も費やしてるでしょう


いやー、神話って本当に面白いですね!

それではまた  さよなら さよなら さよなら.

空海6

Posted by 勇者いくお on 13.2013 精神世界 2 comments 0 trackback
さて、ネット上ではこれ以上検索しても良い情報は得られない?

四国八十八ケ所霊場会というところの公式ホームページを参考にしてみました

目新しい事実は確認できないようですが、ここで各寺の真言に注目してみました

11番 藤井寺 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

22番 平等寺 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

33番 雪蹊寺 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

44番 大寶寺 おん まか きゃろにきゃ そわか

55番 南光坊 なむ だいつうちしょう ぶつ

66番 雲辺寺 おん ばざらたらま きりく

77番 道隆寺 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

88番 大窪寺 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか


ふむふむ、阿波と土佐の雪蹊寺、讃岐の道隆寺、大窪寺は同じ真言ですね

それで、真言って何?

wikiで調べました(笑)

真言(しんごん)、サンスクリット語:マントラ(मन्त्र [mantra])とは、大日経などの密教経典に由来し、真実の言葉という意。転じて仏の言葉をいう。真言は音が重要であることから、翻訳せず音写を用いる。漢訳では咒、明咒と訳される。
目次 [非表示]
•1 概要
•2 光明真言
•3 如来
◦3.1 金剛界
◦3.2 胎蔵
•4 菩薩
◦4.1 観音菩薩
•5 明王
•6 天
•7 勤行の際に唱える真言
•8 その他
•9 十三仏真言
•10 出典
•11 関連項目
•12 参考文献
概要[編集]真言は密教成立以前から用いられており、古代インドから効能がある呪文として重視されてきた。真言を唱えることで、発願を仏に直接働きかけることができるとされている。真言宗では、心で仏を想い、手で印を結び、三返ないし七返声で唱える(三密)。
真言宗の「真言」はこれに由来するが、真言宗のみで使われるものではない。般若心経の最後にある「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」も真言であり、浄土真宗などを除く多くの宗派で読まれている。法相宗では薬師如来への発願で頻繁に唱えられる。禅宗においても、消災妙吉祥陀羅尼や大悲心陀羅尼などが日常的に唱えられる[1]。 真言にはそれぞれ出典となる経が存在するが、同じ密教経典でも成立の過程が異なる大日経 (胎蔵界) と金剛頂経 (金剛界) では、真言が異なる。例えば大日如来の真言を唱える場合は、両界の真言を連続して唱える。
真言は漢字や梵字で書かれたものが伝わった。
光明真言[編集]•オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン
  オーン。不空遍照尊よ、大印を有する尊よ、摩尼と蓮華の光明をさし伸べたまえ、フーン。
如来[編集]•釈迦如来-ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク(Namah samanta-buddhanam bhah)
      あまねき諸仏に帰命したてまつる。バハ。
•薬師如来
◦大咒-ノウモ・バギャバテイ・バイセイジャ・クロ・ベイルリヤ・ハラバ・アラジャヤ・タタギャタヤ・アラカテイ・サンミャクサンボダヤ タニヤタ・オン・バイセイゼイ・バイセイゼイ・バイセイジャサンボリギャテイ・ソワカ(Namo Bhagavate Bhaisajya Guru Vaidurya Prabha Rajaya Tathagataya Arhate Samyaksambodhaya Tadyatha Aum Bhais-ajye-bhaisajye Bhaisajyasamudgate Svaha)
◦中咒(台密)-オン・ビセイゼイ・ビセイゼイ・ビセイジャサンボリギャテイ・ソワカ(Aum Bhais-ajye-bhaisajye Bhaisajyasamudgate Svaha)
小咒-オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ(Aum Huru Huru caNDaali maataGgi Svaha)
      オーン。取り去りたまえ。取り去りたまえ。チャンダーリーよ。マータンギーよ。スヴァーハー。

以下省略

はい、ありました

赤字にしたところですが

チャンダーリー?なんなんでしょう?

あまり詳しい説明はみつからなかったのですが

疫病を取り払いたまえと女神に祈る言葉のようです

スヴァーハー?僕にはスカアハに聞こえてしまいます(笑)

そういえば、ピコさんにアメノウヅメは誰なのか尋ねたら

「スカアハ」って答えでした

やはり、オロチ退治と岩戸の封印にスカアハも関与しているのか?


これは空海さんに確認してみないと・・・できません(笑)


うん?ちょっと待てよ!

それじゃあ、スサノオ=クー・フーリン?

草薙の剣=ゲイボルグ?


うーん、繋がるね~  面白いほどに繋がった!

空海は遣唐使として中国で景教も学んで全てを悟ったんですね

讃岐の善通寺で生まれ、幼い頃には阿波の現在の童学寺で学んでいる

だから、阿波の神話の伝承も当然知っていた

そして、自分自身の宿命をも悟っていた空海ですから

地球の歴史を必死に学んだんでしょうね、きっと



当時は、阿波から畿内に遷都して、各地を転々とした後、平安京を都に

定めていた朝廷からの命を受けて剣山周辺の場所の封印を完成させた



もしかしてだけど もしかしてだけど・・・・

そういうことなんだろ?(笑)

空海5

Posted by 勇者いくお on 13.2013 精神世界 0 comments 0 trackback
阿波から土佐にはいりましたが、元の場所が阿波なので書庫はそのまま(笑)

次はlalalaさんからアマテラスが関与しているとの情報を得ましたので三十三番札所

公式ホームページより

旅の道うえしも今は高福寺  
のちのたのしみ有明の月


高福山 雪蹊寺 雪蹊寺の歴史・由来

土佐湾の桂浜は、白砂の美しい月の名所として知られる。幕末の志士、坂本龍馬の銅像が立っていることでも名高い。雪蹊寺はそこから西へ約4キロほどである。雪蹊寺の縁起は、まず3つの特色から挙げておく。
1つ目は、四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であること。弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称した。その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。

山門
2つ目は、鎌倉時代の高名な大仏師、運慶とその長男、湛慶がこの寺に滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を制作、また、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置したとされる。一時、慶運寺と名のったのもこうした由縁で、これらはすべて国の重要文化財に指定されている。 
3つ目は、「南学発祥の道場」といわれ、江戸初期の住職、天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍し、野中兼山などのすぐれた儒学者を数多く生みだしている。
雪蹊寺で出家し四国を17回遍路した山本玄峰師は、まさに行雲流水の禅僧であった。
雪蹊寺の見どころ
太玄塔

本堂
境廃仏毀釈で廃寺となった寺を復興させた17代、
山本太玄住職の供養塔。
次の18代・玄峰和尚の師でもある。
玄峰塔
失明に近い眼病ながら、
裸足で7回目の遍路をしているところ
太玄和尚に救われる。
96歳の生涯。
信親の墓

梵鐘
長宗我部元親の長男。
豊臣秀吉の九州征伐に従い、
豊後で家臣700人と討ち死にした。



雪蹊寺の年中行事
節分厄除け/般若心経百巻続経
●日時:2月3日
花まつり
●日時:旧暦4月8日
盆/ソトバ供養
●日時:7月第一日曜日
施餓鬼
●日時:10月24日
除夜の鐘/そば接待
●日時:12月31日

ここも有益な情報は出てきませんね

年中行事で施餓鬼というのが気になるくらいです

阿波の古代史アマチュア研究家の方も雪渓寺については書かれていないようです


まあそういうことで、調べるには時間もかかりますから

そこまでの根気は僕にはないのでここまでです(笑)

前世では土佐の生まれのはずなんですが、今世では高知とは

まるで縁がないようです(笑).

空海4

Posted by 勇者いくお on 13.2013 精神世界 0 comments 0 trackback
二十二番札所 平等寺

ウィキより

平等寺 (阿南市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内、 検索
平等寺

境内
所在地 徳島県阿南市新野町秋山177
位置 北緯33度51分6.6秒東経134度34分58秒座標: 北緯33度51分6.6秒 東経134度34分58秒
山号 白水山
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
創建年 (伝)弘仁5年(814年)
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 白水山 医王院 平等寺
札所等 四国八十八箇所22番
文化財 紙本金地著色秋草図(県文化財)
テンプレートを表示

平等寺(びょうどうじ)は、徳島県阿南市にある高野山真言宗の寺院。白水山(はくすいざん)、医王院(いおういん)と号する。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場第二十二番札所で、阿南室戸歴史文化道に指定されている。
本尊真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌:平等に 隔てのなきと 聞く時は あら頼もしき 仏とぞみる
目次 [非表示]
•1 歴史
•2 境内
•3 文化財
•4 交通案内
•5 奥の院
•6 前後の札所
•7 周辺
•8 参考文献
•9 外部リンク
歴史[編集]寺伝によれば、空海がこの地で厄除け祈願をすると5色の雲がわき金剛界大日如来の梵字が浮かんだ。さらに薬師如来が現れたので、その場で錫杖で井戸を掘ると乳白色の水が湧いた。その水で身を清め百日間の修行をした後薬師如来を刻み、堂を建てて本尊として安置したのに始まるという。
七堂伽藍や12の末寺を持つまでに栄えたが、天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火で焼失した。享保年間(1716年 - 1736年)になって照後僧正によって再興される。
境内[編集]•山門(仁王門・楼門)
•本堂:格天井には多くの草花を描いた天井画がある。
•大師堂
•鐘楼
•地蔵堂
•観音堂
•護摩堂
•十王堂
•鏡の井戸(弘法の霊水・白水の井戸):この水は万病に効くとの言い伝えがある。
•厄除け坂:本堂正面に男坂42段、本堂左に女坂33段、山門前に子厄坂13段で合計88段となっている。
道路に面した13段の石段を上がって山門をくぐる。左に鐘楼、右に納経所があり、その先右手に手水場が、左に鏡の井戸があり、正面に42段の男厄坂が左には緩やかな33段の女厄坂があり上り詰めると本堂が建つ。厄坂の途中に地蔵堂、本堂左のほうに護摩堂がある。大師堂は手水場の左奥に建ち、その手前に右に観音堂が、大師堂の左に十王堂がある。


やはり手がかりになるような情報はありません・・・

四国遍路の札所の一つであるということしか分かりません

全国ではどうでしょうか?

各地に九頭龍の伝承がありますし、九頭龍神社もあります


信濃三十三観音札所といのがあるそうで、その中に

第二十八番札所龍頭山 龍福寺

ご本尊名 聖観世音菩薩
ご本尊愛称 鳥羽堂観音
宗派 元天台宗
所在地 上田市腰越向井1186
駐車場 参道口 大型車は腰越橋手前
TEL 0268-42-2196
URL
ご詠歌 鳥羽の山 登りてみれば 龍福寺 田子の浮き舟 松風の音
開山・開基 慈覚大師(承和元年834)
承和元年(834)、天台宗の慈覚大師の創建にして、大師が手ずから刻んだ観音像が本尊と伝えられる。伝説では、信濃錫巡中の大師がこの地を訪れた際、土地の民を苦しめる龍を封じるため、沼のほとりで修法を行ったところ、功徳を得た龍の昇天とともに霧が晴れ、柳の大木が現れた。その柳を伐って、木の上部でつくった仏像が、当時の聖観音という。地域の人々の信仰が篤く、毎年12月には奉賛会が主催する子ども餅つき大会で大いににぎわう寺である。

龍頭山龍福寺?これは臭います・・臭いですね(笑)

ということで、平等寺は置いといて、21番太龍寺を紹介

のらねこさんのブログより
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/archive/2011/12/24

もう一つ 阿波古代史と日本のルーツ研究会(基礎編)から

阿波古代史(基礎編)と日本のルーツ研究会さんが近況をシェアしました。
6月25日「アワの歌」の話題から秀真伝の話になったので、「秀真国=阿波国」の記事について、再度シェアしますね。
発展編からシェアしようとしましたが、いまだバグ状態なので、あらためてこちらにアップします。推察が少し入っていますが、自明かなと思うので、こちらでもアップしておきますね。

「古事記はどこを舞台とした物語なのか?」

古事記と言えば、日本人なら多くの人がご存じの日本最古の公式歴史書です。

でも、正式の名称をご存じの方は少ないと思います。私も阿波古代史を知るまではしらなかったのです。

その正式名称は「磯上乃古事記」(いそのかみのふることぶみ)

では、この「磯上」とはなんでしょうか? 
これは場所を表す冠頭詞のようですね。

これを解釈するのに格好の文章があります。
825年に阿波国 太龍寺縁起において空海が著した以下の文章です。

「磯輪上乃秀真国之阿波国也」(しわがみの ほつまのくに これあわのくになり)

磯輪上の秀真の国=阿波国

と言っているのです。この文章は重要なことを二つ表しています。

まずは「秀真国は阿波国」と言うこと。

つまり「秀真伝」(ほつまつたえ)と言う古文書は「阿波伝」(阿波のことを書いた文書)と言うこと。

もうひとつは冒頭の「磯上」の解答、「磯輪上の国は阿波の国」と言うことです。

磯輪、つまり 「磯の輪=鳴門の渦潮」 と推察できれば、その上の国は阿波国です。

この二つを組み合わせれば、実に簡単なことではないですか。

つまり、古事記は「阿波国の歴史を書いた文書」と言うことです。事実、阿波風土記は現在の世の中に実在しないことになっているものの、その阿波風土記をもとに研究した書物が筑波大学図書館にあることが発見されています。その中には天地開闢以来の物語が載っております。

「でも、他のところの風土記や家伝書の中にもそういった古事記と同じような天地開闢の物語が語られているものがあるかもしれないじゃないか?」と言った反論が聞こえてくるかもですね。

でもその反論に対しては、明治時代の小杉榲邨先生の偉業があり、これで持って自信を持ってないと言えます。小杉先生が30年間かけて全国津々浦々の場所にご自分の足で出かけられて、その場所の家伝書、資料を調査された目録も別途また掲載しておきます。その膨大さに圧倒されます。そして、「どこの書にも、そうした天地開闢以来の物語が載っていなかった。」と言うことなのです。

「阿波風土記以外の資料に天地開闢以来の物語がない」と言う証明のために費やした30年。地名と古墳を基に机上で説を書いているだけの学者さんとは全く違った地道さですね。(^_-)
ということで、太龍寺を出したついでにこの情報も出しました(笑)

それで肝心の平等寺は?

分かりません・・・・

まあ、こんなもんでしょ・・・本当に重要な場所は封印されてますから

だから阿波は厳重に封印されてきたわけですね.

空海3

Posted by 勇者いくお on 12.2013 精神世界 0 comments 0 trackback
それでは応援を受けたので引き続き空海さんについて書いてみたいと思います

ピコさん、lalalaさんから、四国八十八ヶ所の札所のなかで重要なのは

ぞろ目の札所だとの指摘がありますので、まずは十一番札所である

藤井寺からです

ウィキより

藤井寺 (吉野川市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内、 検索
藤井寺

本堂(正面)と大師堂(右)
所在地 徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525
位置 北緯34度3分6秒東経134度20分54.6秒座標: 北緯34度3分6秒 東経134度20分54.6秒
山号 金剛山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来
創建年 (伝)弘仁6年(815年)
開基 (伝)空海(弘法大師)
中興年 延宝2年(1674年)
中興 南山国師
正式名 金剛山 藤井寺
札所等 四国八十八箇所11番
文化財 木造釈迦如来坐像(重要文化財)
テンプレートを表示



境内の藤棚藤井寺(ふじいでら)は徳島県吉野川市鴨島町飯尾にある臨済宗妙心寺派の寺院。四国八十八箇所霊場の第十一番札所。金剛山(こんごうざん)と号する。本尊は薬師如来。なお、四国八十八箇所霊場のうち、寺号の「寺」を「じ」でなく「てら」と読むのは本寺だけである。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:色も香も 無比中道の 藤井寺 真如の波の たたぬ日もなし
目次 [非表示]
•1 歴史
◦1.1 草創伝承
◦1.2 中世以降
•2 境内
•3 文化財
•4 交通案内
•5 奥の院
•6 前後の札所
•7 参考文献
•8 関連項目
•9 外部リンク
歴史[編集]草創伝承[編集]弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がこの地で自らと衆生の厄を祓い、薬師如来像を刻んで堂宇を建立、山へ2町入ったところの八畳岩に金剛不壊といわれる護摩壇を築き一七日(7日間)の修法を行ったのが開創であると伝えられる。このとき空海が堂宇の前に藤を植えたことから藤井寺と号したという。
中世以降[編集]真言密教の道場として七堂伽藍を持つ寺に発展したが、天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火によって焼失した。延宝2年(1674年)に臨済宗の南山国師が再興したことから臨済宗に改められたが、天保3年(1832年)に火災によって本尊以外は全焼、その後万延元年(1860年)に再建されたのが現在の伽藍である。

それで、特に気になるような情報もありませんでした(笑)

さらに、検索かけてもめぼしい情報は得られませんでした


う~ん、これだけ地味な寺だとやはり一般的なことしか分かりません

しかも、書いている本人は神社仏閣、宗教、神話、聖書どれをとっても

ど素人ですから(笑)



ここはやはり、正義の味方「ピコちゃんマン」に登場してもらわないと

僕では無理なようですね


これだけで終わるのもなんなんで(笑)

ヤマタノオロチの封印に関しての考察を少し

スサノオのオロチ退治の神話は非常に有名ですが

岩戸の番人(たぶん、アマテラスとの誓約により)をしていたスサノオですが

他の悪魔に食われてしまう程度の存在なので、オロチを封印できるような

力のある存在ではありませんでした

裏で誰かが力を貸していたということです

それでも、それほどの力の持ち主でも一ヶ所に封印できないほどの

力を持っているのがヤマタノオロチです


つまり、何ヶ所かに分けて封印されているということです

オロチについては頭が八つだとか、八つの俣があるんだから頭は九つだとか

言われていますね?僕も正確な数は知りません(笑)

しかし、ヤマタとか九頭龍とか言われているように複数個の頭を持っていたことには

違いありません

九頭龍の九の数字はただ単にそれほどたくさんのという意味しかないと

聞いていますが、経験上、裏宇宙の支配者バルサイモンの紋章は

九つの頭を持ったドラゴンなのです

それで、話はぞろ目の札所に戻って、八十八ケ所でぞろ目は八つですね

オロチの頭が八つだとしたら数は合います

そして、本体を封印した場所は剣山からそう遠くない場所のはず・・・




八面山という場所がありますね

ここは気になります、とても気になります

本体はここに封印されて、頭を(実際に頭かどうかは別として)

エネルギーとしては頭になる部分を四国内の八ヶ所に封印した


ということではないでしょうか


藤井寺では何も探せませんでしたので、次の平等寺に期待しましょう

まあ、僕には期待できませんが(笑)

空海2

Posted by 勇者いくお on 12.2013 精神世界 0 comments 0 trackback
今日は連続で書きます!(笑)

もう一つリンクを貼ります

http://soleineism.blog6.fc2.com/?m&no=95

前の日記のつづき。


実はアマテラスだけでなく、
スサノオ(牛頭天王)、オオゲツヒメ(豊受大神)、
ニニギ、オオクニヌシ、そしてイザナギ、イザナミも、
すべて徳島県で生まれた。


なぜ、これだけの事実があるのに、徳島に目がいかないのか。

伊勢、九州高千穂、中国出雲、に注目させたのか。

裏から考えれば明らかだ。

そこに「意図」があったとしか思えない。

隠す必要があったのだ。

空海も、88カ所めぐりを完成させ、四国をお遍路させ般若心経を読ませることで、音霊で四国全土に結界をはるという妙技を行った。そのためにわざわざ仏教を使った。

空海は僧侶ではなく、神道家だった。
イザナミの墓陵を守るために行ったため、イザナミが眠る徳島県美馬市の、剣山を臨む高越山に空海も祀られている。

高越寺の敷地内から高越神社に登り、イザナミのほこらに続く山道に、空海がいる。いまでは空海の銅像がある。

お遍路は、受け継がれることで、真の歴史が開く来るべき時がくるまで永久に続く般若心経の暗号で結界の役目をもった。

お遍路は、この、高天原である剣山、そして、イザナミの眠る高越山近辺に、「ひとつも」寺を設けなかった。

つまり、ここでも、意図的に、この土地を無視させた。つまり封印だ。
四国は仏教の土地、と思いこませた。

わたしは、今年いきなりこの謎の土地のど真ん中、高越山のふもとの土地の相続話でご縁ができ、この史実を知ることになった。

歴史の裏側には、

日本神話の真の場所を隠したという事実があった。
では、裏の奥は?

「なぜ隠す必要があったのか」

わたしの解釈では、
まず、隠さなければならない事態がおきた。他国から狙われた。
つぎに、狙われるほどのなにかがあった。
日本民族がすべての祖であること、そしてその証が阿波にあった。

阿ははじまり。阿波は始まりの波。

その証は、三種の神器やアーク、などと思われがちだが、

わたしの直感では、それは物質に過ぎず、証とはいえない。

封印されてきた阿波に脚光が集まると、これらの歴史が明るみにでて、

阿波の岩戸が開かれる。

そして、気づきというかたちで、

あまたの民の岩戸が開かれる。

開かれたとき、どうなるか、どうすべきか、

は、上記の通り、歴史が物語っている。
「語るな」と。つまり、封印は、自分で解くもの。

わたしはわたしなりの答えにたどり着いた。
たどり着いたら、全身にパワーがみなぎった。
そうであったら最高だ!という湧き出すエネルギーだ。

つまりわたしは、誰がそれを正しい正しくないと言おうが気にせず、自分が感じたことを果たせばよい。

しかし、はやく気づいてほしい。いや、気づいてほしいという表現は高慢だ。正しくは、共有、共感したい。
共感が増えるほど、わたしたちは爆発的に感動が増えていく民族だ。私なりにたどり着いたら答えは、そんな内容だ。

この意識が共有できたら、なるほど、すべてのつじつまがあい、謎は解け、師を探し続けることもなく、教義に惑わされることもない。
しかもうれしく、意欲がわき、涙があふれ、感謝で満たされる。

これは到底、ことばでは伝わらない。

だから、最後の封印は、自分で解く必要があるのだ。

共感できるひとを見つけ、つながっていきたい。
「共感者を増やしたい」という思いもあるが、
述べたとおり、言葉だけでは絶対に伝わらない。
伝わったと思いこんだり、間違った伝わり方をしたらとても危険、スレスレだからだ。

わたしが適切だと考える伝え方は、またの機会に書く。

大勢を集めてセミナーで伝えるひとびとに距離を置いている。
間違った行動をしているか、
核心にたどりつくずっと前の段階の知識習得セミナーと思ったほうがよい。

言葉だけではないなにかで伝える必要がある。


わたしたちの真の魂は、まだ天岩戸に入りっぱなしだ。
それぞれの魂の天照大神は、まだ出てきていない。



いやー、この方なかなか鋭いですね




ただ、岩戸が開くとかいう記述は僕は大嫌いなんですが(笑)


まあね、天岩戸が何かをしらない人は岩戸開きって魅力的なんでしょうけど・・・

あまり使ってほしくないですね

ただ、神話のアマテラスの岩戸隠れのお話は人々を騙し続けているわけで

まんまと成功していたということですね



さてと、なんか最近には珍しく面白くなってきたので


このシリーズで暫く続けて書く鴨かも?(笑).

空海

Posted by 勇者いくお on 12.2013 精神世界 0 comments 0 trackback
今回は珍しく時間をかけて書いてます(笑)

空海といえば、香川県は善通寺に生まれた天才ですが

彼の最大の功績は何なんでしょうか?

そこで、ネットで「空海の封印」で検索してみました

いやー、いろいろ出てきました(笑)

月、空海の悟りの地、太龍寺が、台風マーゴンによって破壊される。


画像



「・・・何とかこの不可解な台風6号から逃げおうせたかと思いきや、なんと四国お遍路の創始者、空海が悟りを開いた場所として有名な「太龍寺」の御神木か倒れ、本堂を突き破ったという。」



8月、天竜川の転覆事故。天竜川は中央構造線にある。空海は中央構造線を歩いたらしい。



「・・・その中央構造線を歩いたのが空海です。遍路で有名な「四国八十八か所」。中央構造線に沿って空海由来の真言密教の寺と鉱山が多くあります。空海の右手の錫しゃく杖じょうは、鉱山師の持つ錫杖と同じといいます。」


そしてこの時期東京で大々的に開催されている空海の密教美術展(7月20日-9月25日)。

画像



ちなみに、太龍寺の破壊も7月20日。密教展が始まった途端にお堂に大木をなぎ倒すってどんだけ怒りを買ってるんだか。

これって何かの合図?


中央構造線地帯に空海のお寺や鉱山が多くあり、パワースポットになっている。

断層から地球のエネルギーが放出されているとか。

同時に、日本を支える製造業などの産業が集中し、日本の繁栄を象徴しているエリアでもある。

日本で最も栄えている土地。いわばそのエネルギーが日本を動かしているといっても過言ではない。

経済的にも、霊的にも。


ちなみに、四国の国道28号線は、中央構造線と全く同じラインを辿っている。
中央構造線は東西に1000km延びる龍脈だが、中央構造線に国道を乗せているのは四国だけである。


四国は知っててやっている。







大きな地図で見る


。。。中央構造線が本気でヤバそう。

空海は日本を封印して回った?一番エネルギーのある所を歩いて、そのエネルギーをどうにかしたの?

「空海 封印」でぐぐるととにかくたくさん出てきてびっくり。ここに上げるのはほんの一部。



「これは空海が邪神を封印した洞窟に祭られている社です。空海さんは、魔界の存在を神として祭ることを条件にして、封印したケースが全国に有ります。魔神との一種の交換条件です。神社の形式を取っているので、普通の人間には分からないですし、神の名前が付いているので、大きな愛だと思いがちですが、残念ながら太古から人間の魂を食す存在は、実際に居るのす。」

「空海さんは、祟り神や荒神を封じ込めるのでは無く、逆に丁重に祭り大切にする事で、強力な福神に変えています。悪い事が出来ると言う事は、逆に良い事も出来るパワーが有ると言う事なんです。」


魔神っていってるのは封印された恐らく怨霊さんのことでしょう。ここでいう人間=渡来系のαのこと。
怨霊さんのエネルギーを有難く頂いていますという。

立場によって表現が違ってくる。
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20080424
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/eb36a4ef206101375b703d5b913d1fdd


「弘法大師空海は、霊界(神世)に帰ってからこの日本の各地に約1500体の龍神を封印しているそうです。」

空海が封印してある龍神達
http://yaplog.jp/koubousan-333/archive/12

なんだか曰く付きな人物?

完璧な人物?空海
http://www.st.rim.or.jp/~success/kuukai_ye.html

空海は怨霊さんだけでなく神社神道も封印しているらしい。ほんまかいな。

空海によって封印された原始キリスト教
http://blogs.yahoo.co.jp/hatanoirogu/87375.html

スサノオ=ヤマタノオロチを封印したらしい。

弘法大師・空海が封印したもの!つ・ついに登場!
http://blogs.yahoo.co.jp/seashore134/19429807.html

最後に、

「秦氏の血を引く空海は、次のような予言を残していた。

「阿波の国に鉄の橋が渡り来る時、狐が渡りて逃げてくるだろう」

淡路島に鉄(スサノオの象徴)の橋が渡る時、摩耶山に封印されていた八岐大蛇(ルシファー=スサノオ=国常立尊)が、
狐の姿を借りて神戸に戻ってくるという意味だ。」

阪神大震災とかごめ歌
http://jew-beast.seesaa.net/article/154591022.html

面倒くさくなるので取り上げないが、四国の八十八箇所巡りの封印もユダヤ起源だったり邪馬台国だったりカオス過ぎるものがいっぱい出てくる。空海さんを調べていると四国が一杯出てきて、四国の怪しさはハンパないのがわかる。ラスボスがいてもおかしくない。

空海さんは本居宣長には邪教を持ち込んだ張本人として糾弾され、評価が上がったのは日本の中国進出後らしい。キナ臭いなぁ。。。

どうやら空海さんはいろんな方面から恨みを買ってるらしいってことだ。東洋のレオナルドダヴィンチというより、戦後体制を作り上げたマッカーサーという一面が見えてくる。


疑わしいことがこれだけいろいろ出てくるのに、某猫ブログが空海については一切取り上げていない。


弥生時代から始まった渡来人による先住民の征服と、先住民の力の源泉である龍穴を封印し、結界を張ったのが大和朝廷なら、中国密教をもたらし大陸の技術や呪術によって結界を強固に纏め上げ最終的に日本の封印を完成させたのが空海だったのかもしれない。


そして中央構造線のエネルギー。もし地球が、このエネルギーの利用が地球のためになっていないと考えたら、断層に対してアクションを起こすのは充分考えられる。


だとしたら、怨霊さんの本当のターゲットは。。。

http://suishounohibiki.blog.fc2.com/?m&no=11



結構面白い記事ですが、その中でなな、なんとピコさんの記事が紹介されてます

http://blogs.yahoo.co.jp/seashore134/19429807.html


空海って謎の人物なんですね(笑)

まあ、朝廷の命を受けて四国を封印したjことには違いないんですが

大杉 博さんや他の方が思っているような、天皇の出自を隠したとか

ソロモンの秘宝だとかそんな理由は弱いですね

もっと根本的な問題ですね



それは何か?


実は、神話の本当の舞台である阿波の中でも、剣山周辺は

精神世界の重要な存在、場所と繋がっており

天岩戸、ヤマタノオロチ退治の本物の場所だということです

まあ、どちらも太古の昔に封印されてはいますが

よそ者の侵入を防ぎ、大切な場所が荒らされるのを防ぐことが目的でしょうね

つまり、空海が封印したものとは

天岩戸、ヤマタノオロチ=九頭龍=ベルゼブブ=バルサイモン

の場所を封印したということになります

まあ、とんでもない場所ですからね

悪魔を利用して自利を追求しようとするような輩に封印を解かれては大変です


ということで、昔から四国ではこういう役目(使命)を持った人物が

誕生するようになっているんですよ(笑)

邪馬台国四国説

Posted by 勇者いくお on 17.2013 精神世界 0 comments 0 trackback
たまには似合わない記事を貼って遊んでみます(笑)

既知外が説を説くとアンドロメダまで行ってしまうかもしれないので(笑)
既出の四国説を紹介します

グーグルアースで


当サイトは、魏志倭人伝の記述をグーグルアースに照らし合わし、邪馬台国徳島説を証明するサイトです。


邪馬台国Q&A

証拠となる五つの条件

魏志倭人伝の記述と徳島県


行程で短里法を立証する

ご自身でグーグルアースを開き検証してみてください。


http://www015.upp.so-net.ne.jp/kamiyama/







邪馬台国東四国説


女王の都する所-阿波板野郡大麻山
阿波と大和の二系統の統合

自説以外の東四国説



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畿内説および九州説への反論
24国の位置を具体的に比定していない説を定説とするのは疑問

東四国説の根拠
魏志倭人伝および記紀のデータとのすり合わせ
考古学上の遺跡および遺物データとのすり合わせ
24国および邪馬台国の中心拠点の比定
墓制による畿内王権との接続の解釈
伊都国の女王国への統属の解釈

24国の比定地図
弥生後期の遺跡との対応
国名と地名との対応
旅程(方位・日数)の解釈
中国語原音による音訳


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卑弥呼の墓の位置 大麻山周辺の遺跡
東瀬戸内地域の前方後円墳への寄与
萩原墳丘墓と阿王塚古墳の舶載画文帯神獣鏡の早期副葬
萩原墳墓群  阿王塚古墳

弘法大師空海と霊山寺
霊山寺が一番とされる理由
弘法大師が天尊の出自と確信した理由
四国遍路の本来の意味

記紀の具体的解釈
大麻山周辺の地名と記紀の地名の対応
阿波と大和の二系統の統合
天照大神=卑弥呼説
猿田彦大神=魏使説
倭人伝との詳細な対応


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本ページの画像は国土地理院刊行の数値地図50mメッシュ(標高)
日本III,数値地図250mメッシュ(標高)、(財)日本地図センターのJMCマップ
を使用して作成しました.

Copyright (c) yamatai4@yahoo.co.jp December, 2001
このページは、自由にリンクしてください。
http://geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/5468/


以上の二つを紹介しておきます

邪馬台国論争は畿内と九州に任せておいて、倭国を阿波とする方がやはり
いいですね

これまでにも紹介したアマチュア研究者の方のほうが公正で客観的な判断が
できていると思います

ただ、古代史は、非常に難しいです

それは、ただ単に人間だけの歴史ではないからです

人間が神と崇める精神世界の存在や、その神と人間の間に生まれたハーフ

それに、純然たる人間の歴史が複雑に絡んでいますからね

それでもこれだけはハッキリと言えます

古代史を研究するなら徳島を抜きにしては語れない

ということです

不思議の国「徳島」は面白い!.
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